2014年07月

先日まで、NHKの「探検バクモン」という番組の制作をしていました。爆笑問題のお二人が、普段は中々入れない場所に潜入して、その裏側に迫る「教養エンターテインメント」番組です。

そして今回訪れたのは、「国土地理院」。
 …そう、日本の地図づくりを長年にわたり担ってきた国家機関です。

この国土地理院の中には、そこで働く職員さんたちですら知らないという、秘密の収蔵庫があります。日本と世界の地図づくりの歴史を物語る貴重な資料が保管されており、今回、テレビカメラが初めて入ることを許されました。

それらのお宝地図の中でも、特に私の印象に残ったのが、明治前期に陸軍の軍人たちが作った「迅速測図原図」という彩色地図です。

当時は、西南戦争など士族の反乱が相次いだ直後。反乱を鎮圧する際に、現地の地図があることの重要性(ないことの不都合)を痛感した陸軍卿・山形有朋によって、関東平野全域の地図作成が命じられました。首都防衛に備えるためです。

この地図には、現在の我々が見慣れた地図とは大きく異なる特徴があります。それは、地図本体の周囲に、図中の目印となる地点(神社や石碑など)の絵が描かれていることです。行軍の際の目印となることを意図していたようです。さらには、多摩川など主だった河川の深さが記された断面図も描かれています。現地での測量の苦労がしのばれます。

このように、古来、地図は、国防や統治と深く結びついていました。

実際、国土地理院の前身は、陸軍参謀本部に置かれた組織でしたし、現在でも、国によっては国防省の中に地図・測量部局が置かれていたりします。

まさに「地図は国家なり」といったところでしょうか。

(なお、現在日本政府は、排他的経済水域の範囲を確定・主張するなどのため、日本領である絶海の孤島に、測量の基準点を設置する作業を進めています。その作業を担っているのも、国土地理院の職員さんたちなのです。)

 さて、明治につくられた迅速測図原図は、全部で900枚余りに上ります。そしてそれが、たったの1枚も欠けることなく、今に伝わって、地理院の収蔵庫に眠っているのです。これは奇跡といってもよいのではないでしょうか!

地理院でこの地図の原本を初めて目にした時、地図づくりにかけた先人たちの息づかいを感じるとともに、いま自分が対面していることに、えも言われぬ不思議な感慨を覚えました。

 古色蒼然たるこの地図に今、新たな役割が与えられようとしています。

地図中には、湖沼や湿地、水田など、開発が進む以前の、明治前期の土地利用の様子が詳細に記録されています。国土地理院では、それを現在の地図と重ね合わせることで、それぞれの土地がどういう場所であったのかを明らかにし、地震に伴う液状化など、災害対策に役立てようとしているのです

(詳しくはhttp://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_meiji.htmlをご覧ください)。

…元々は、軍事目的でつくられた迅速測図原図。それが、120年余り後の世で、防災目的に利用されようとは、当時作成に携わった軍人たちも、よもや予想しなかったことでしょう。

 (なお、国土地理院を訪問した、探検バクモン「日本まるごとハイ地~図!」は、NHK総合で、9月10日(水)夜10:55から放送予定です。私にとっては10年ぶりの、ロケ・編集といった番組制作作業で、楽しさと大変さを、懐かしさとともに味わいました。もしよろしかったら、ご覧になってくださいね。)


                                T.K.


社員に赤ちゃんが誕生しました。

知らせを受けて、みんな「バンザイ」拍手しました。

芙蓉の花の「芙」に「海」と書いて、「芙海」・・。
ふーみんです。

決して贔屓めでなく、それはそれは愛らしい顔をしています。

つぶらな瞳芙蓉

桜貝のようなくちびる

眼の中にいれても痛くない・・どの形容詞も
決して大げさではないことを教えてくれます。 


会社に初お目見えのときは、大騒ぎでした。

でも、さすがに経験者が少ないせいか
「奪い合うように・・・」とはなりません。

落っことしたら大変!だからでしょうか、遠巻きに眺めるばかりです。

それにしても新しい命の誕生は、会社に活力を吹き込んでくれます。

折しも、会社は社名を新たに変更し、再スタートをきるけじめの年です。

最近、耳が聞こえ辛くなって、少々元気をなくしていた社長も

久しぶりに墨をすり、筆で「命名 芙海」と、書きました。

出産から2か月後は社長の誕生日でした。

産休中の彼女から届いた手紙には、ふーみんの!(^^)!写真と一緒に

こんな言葉が書かれていました。

「ラフトのため、私のため、この子のため、まだまだお元気で頑張ってください。」

今、放送大学の授業で、女性ディレクターが「少子社会」の授業番組を制作しています。

今日、子供をとりまく環境をみるとき、あらゆる側面から非常に厳しいものがあります。

子どもたちを支える仕組みや施設がまだまだ十分でないことを実感させられます。

そんな中、子供をめぐる痛ましい事件は後を絶たず、望みながらも将来への不安から

出産をためらう女性も少なくないのが実情です。

「誕生」という中島みゆきの歌に、こんな歌詞があります

~ ♪ 私はいつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome ♪ ~

いつの時代も、どんな時も、誰もがそうであってほしい。

お祝いに送ったオルゴールに耳を澄ませる小さな命の動画を眺めながら、そう願わずにはいられません。

                                                           Yuki


社名を本来のオフィスラフトに戻すにあたってホームページもリニューアルした。

トップページには、筏に乗って、映像制作という大海を漂っているわが社のイメージ

を表現したいと思っていたが、ぴったりの絵が出来上がった。

まさに、「舵なし エンジンなし 波まかせの旅・・・」

ロマンと冒険を夢見る乗組員たちの、ちょっと頼りなくも、ひたむきな姿が見事に描かれていた。
絵を描いて下さったのは、毎日新聞のコラム「風知草」のイラストを描いている
イラストレーターの五十嵐晃さん。
20年前、会社のロゴマークを描いて下さった方である。

 打ち合わせのため、久しぶりに会社に来て下さった五十嵐さんを見て驚いた。いかにもアーティストらしく、ライオン丸のように長く伸ばしていた髪をバッサリ切り落として坊主頭になっている。顔も日焼けして引き締まり、面構えも精悍だ。

「ヒエーッ 変わりましたね!」

驚く私たちに、五十嵐さんは人懐っこい笑顔を見せた。この笑顔だけは20年来少しも変わらない。そして言った。

「最近、百姓をしてますから」

聞けば数年前から、イラストレーターのかたわら、田畑を借り自給自足の生活をしているのだそうだ。そのため朝5時に起きて田や畑に出、夜は9時には床に就く生活に切り替えたのだという。

「どうしてそんな暮らしを?」

「いや、ただ、何かを育ててみたくなって・・・」

分かるような気がした。

わが社でも、毎年、会社のベランダでアサガオを育てている。

「骨髄移植を待っていた少年が育てていた朝顔を、少年に代わってみんなで育ててくれませんか?」

骨髄バンクの運動をしている友人から、そういって17粒のタネをもらったのが一昨年のこと。園芸などには全く興味を持っていなかった私たちが、見よう見まねで種を撒くと17粒すべてが芽を出した。

それからボクらの生活が大きく変わった。すくすくと伸びていくアサガオから目が離せなくなったのである。花が咲いた時は慌てふためいた。11階のビルのベランダである。

そんなところにまで昆虫がくるはずもない。一体どうすれば受粉できるのだろう?

「アサガオの周りに蚊帳をつって中に昆虫を放そうか?」

そんなバカなことを本気で提案する奴もいた。


 発見の連続だった。13 (2)

アサガオが自家受粉していることも初めて知った。

何時ころ咲くのかを知りたくて夜通し観察し続けていたこともある。そして早いものは午前2時過ぎには花を開き、夜が明ける直前に最も美しい姿になることも分かった。

生きるか死ぬか、全てを人間の手に握られているにもかかわらず、子孫を残そうと懸命に生きている朝顔と、病に侵されながらも戦い続けてきた少年。その姿が重なり合い、改めて、命について深く考えるようになった。アサガオは単なるアサガではなく、私たちにとっては、命の素晴らしさを映す鏡となったのである。以来、ベランダの朝顔は毎年増えている。


 五十嵐さんとの打ち合わせはわずか1時間ほどの短いものだった。
ところが、出来上がったホームページの絵を見て驚いた。
筏の上で、スタッフがちゃんとアサガオを育てているのである。五十嵐さんの朝顔
短い打ち合わせの間に、どうして我々の朝顔への思いを感じ取ったのだろう?
僅かな間に、私たちの気持ちをくみ取り、見事に表現してくれた五十嵐さんの仕事ぶりに思わず感嘆の声を上げてしまった。

言葉で聞いた以上のものをくみ取って表現する・・・。
まさにプロの仕事だ。

私たちもそんな仕事師になりたい・・・。

イラストを見ながらつくづくそう思った。

                                           Sato

 

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