先日まで、NHKの「探検バクモン」という番組の制作をしていました。爆笑問題のお二人が、普段は中々入れない場所に潜入して、その裏側に迫る「教養エンターテインメント」番組です。
そして今回訪れたのは、「国土地理院」。
…そう、日本の地図づくりを長年にわたり担ってきた国家機関です。
この国土地理院の中には、そこで働く職員さんたちですら知らないという、秘密の収蔵庫があります。日本と世界の地図づくりの歴史を物語る貴重な資料が保管されており、今回、テレビカメラが初めて入ることを許されました。
それらのお宝地図の中でも、特に私の印象に残ったのが、明治前期に陸軍の軍人たちが作った「迅速測図原図」という彩色地図です。
当時は、西南戦争など士族の反乱が相次いだ直後。反乱を鎮圧する際に、現地の地図があることの重要性(ないことの不都合)を痛感した陸軍卿・山形有朋によって、関東平野全域の地図作成が命じられました。首都防衛に備えるためです。
この地図には、現在の我々が見慣れた地図とは大きく異なる特徴があります。それは、地図本体の周囲に、図中の目印となる地点(神社や石碑など)の絵が描かれていることです。行軍の際の目印となることを意図していたようです。さらには、多摩川など主だった河川の深さが記された断面図も描かれています。現地での測量の苦労がしのばれます。
このように、古来、地図は、国防や統治と深く結びついていました。
実際、国土地理院の前身は、陸軍参謀本部に置かれた組織でしたし、現在でも、国によっては国防省の中に地図・測量部局が置かれていたりします。
まさに「地図は国家なり」といったところでしょうか。
(なお、現在日本政府は、排他的経済水域の範囲を確定・主張するなどのため、日本領である絶海の孤島に、測量の基準点を設置する作業を進めています。その作業を担っているのも、国土地理院の職員さんたちなのです。)
さて、明治につくられた迅速測図原図は、全部で900枚余りに上ります。そしてそれが、たったの1枚も欠けることなく、今に伝わって、地理院の収蔵庫に眠っているのです。これは奇跡といってもよいのではないでしょうか!
地理院でこの地図の原本を初めて目にした時、地図づくりにかけた先人たちの息づかいを感じるとともに、いま自分が対面していることに、えも言われぬ不思議な感慨を覚えました。
古色蒼然たるこの地図に今、新たな役割が与えられようとしています。
地図中には、湖沼や湿地、水田など、開発が進む以前の、明治前期の土地利用の様子が詳細に記録されています。国土地理院では、それを現在の地図と重ね合わせることで、それぞれの土地がどういう場所であったのかを明らかにし、地震に伴う液状化など、災害対策に役立てようとしているのです
(詳しくはhttp://www.gsi.go.jp/bousaichiri/lc_meiji.htmlをご覧ください)。
…元々は、軍事目的でつくられた迅速測図原図。それが、120年余り後の世で、防災目的に利用されようとは、当時作成に携わった軍人たちも、よもや予想しなかったことでしょう。
(なお、国土地理院を訪問した、探検バクモン「日本まるごとハイ地~図!」は、NHK総合で、9月10日(水)夜10:55から放送予定です。私にとっては10年ぶりの、ロケ・編集といった番組制作作業で、楽しさと大変さを、懐かしさとともに味わいました。もしよろしかったら、ご覧になってくださいね。)
T.K.